管理人が特撮・アニメ・ネット等について書いたり自作の漫画を公開したりする処でございます。或いは、管理人の日々の愚痴等を垂れ流す処。または、画力向上を図る処。もしくは、インターネットラジオの投稿を報告する処。非常に混沌としております。

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飛翔掘削

Author:飛翔掘削
冴えない漫画描き。
「人生は楽しみながら」をモットーに、日々思ったことなんかを記していければと思っております。
色々観たり読んだりしますが、主食は特撮怪獣映画。
最近は、漫画と特撮映画と『ストライクウィッチーズ』があれば生きていけそうな気がしています。
2015年1月、人生初の商業漫画が出ました。

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初のアニメシリーズとして再構築されたゴジラは、SF哲学怪獣論を展開する作品になっていた!  ~『GODZILLA』シリーズ総括~ 

去る2018年11月9日、アニメーション映画『GODZILLA 星を喰う者』が公開されました。これをもって2017年11月17日より約1年間に渡って展開してきたアニメーション映画シリーズ『GODZILLA』は、完結を見た訳でございます。
しかしながら本シリーズの評価としては見事に賛否両論真ッ二つに分かれており、「嗚呼、そうだよな。ここ最近のギャレゴジとシンゴジの絶賛の流れで完全に忘れてたけど、ゴジラ映画の新作が公開されると大体ファン界隈は大荒れするんだったよな……」という事を再認識するしきりだったりもします。

管理人個人としては、この『GODZILLA』シリーズは「面白い」とは感じていないのではありますが同時に「非常に興味深い」作品ではあり「好き」な作品でもある、という評価に落ち着くんですよね。
皮肉では無く本心から『GODZILLA』シリーズが好きなんですけれども、しかし作品評は結構厳しめになってしまうというなかなかどうして辛い感じにはなってしまうんです。が、しかしそれでも60余年続く「ゴジラ作品」の1ページとして1年間追いかけてきた作品でありますので、ここはブログ記事として書き記しておきたいと思います。
宜しく、お願い致します。

……因みに、当記事作成時点に於いて管理人は前日譚となる小説『怪獣黙示録』及び『プロジェクト・メカゴジラ』を、まだ読んでおりません。これは、『GODZILLA』シリーズを純粋に映像作品として愉しんだ上で作品全体を評価したかったからというのがある訳であります。なので当記事内の管理人の疑問が前日譚小説で明かされていたりする等の齟齬が生じている事も考えられる為、その点ご留意頂ければ幸いです。
当記事を作成し終わったら前日譚小説も読んでいこうと思います。こっちは本編と異なり特撮怪獣ファンからの評判も良いんで、純粋に楽しみでありますなぁ。

GODZILLA.jpg

GODZILLA』は、2017年から2018年にかけて公開された、アニメーション映画シリーズ作品。『怪獣惑星』、『決戦機動増殖都市』、『星を喰う者』の3部作構成で展開しました。企画自体は2014年に公開されたレジェンダリー制作の特撮怪獣映画『GODZILLA ゴジラ』の公開前から始まっており、2016年公開の特撮怪獣映画『シン・ゴジラ』よりも先発の企画であるとされています。
アニメーション制作はポリゴン・ピクチャアズ社で、静野孔文監督と瀬下寛之監督による2人体制。また、シリーズ構成には虚淵玄氏が迎えられております。いやぁ2013年放送の特撮ヒーロードラマ『仮面ライダー鎧武』の時も相当に驚きましたが、よもやゴジラ映画の脚本を虚淵さんがやる事になるなど、思いもよりませんでした。一世を風靡したエロゲライターが仮面ライダーやゴジラの脚本を手掛けるようになっているなど、10年前の自分に言っても「嘘乙」と返される事でしょう(笑)。世の中、どうなるか全く分かりませんなぁ……。

さて、本作最大の特徴は「史上初となる3DCGアニメーションで表現されたゴジラ映画である」という事でしょう。企画としても、従来のゴジラファンに向けての作品というよりは「ゴジラを見たことが無い若いアニメファン」をメインターゲットに据えているというアナウンスが東宝より為されておりました。
詰まる所管理人のようなボンクラ特撮怪獣ファンは、本シリーズのメインターゲットでは無いんですね。「自分はメインターゲットでは無い」とされるゴジラ映画を観に行くというのはそれはそれで哀しいものがあったのですが、同時に管理人はアニメファンでもありますので、「アニメーション映画シリーズとして再構成されたゴジラがどういった作品として完成しているのだろうか?」という、期待と不安を胸に、2017年11月17日の『怪獣惑星』公開日を迎えた訳でございます。まぁ、何だかんだ言っても管理人はこれまでのゴジラ映画は全て好きになっていた訳でありますので、今回も好きになるのだろうなぁという楽観的な感じで臨んだ訳ではあるのですが、しかし『怪獣惑星』を観て愕然としました。
駄目だ、これは俺の好きなゴジラじゃない……ッ!!
いやね、最終的に好きな作品にはなったんですが『怪獣惑星』で見せられた本シリーズの方向性は、管理人にとってはなかなかどうして厳しいものになっておりまして……。
誤解を恐れずに言うと、この『GODZILLA』シリーズは「怪獣映画では無かった」んです。

取り敢えず、何故そう感じたのかという話は後で書くとして、あらすじはこんな感じですかね。

1999年、アメリカ・ニューヨークに地球上で初めての怪獣が出現した。甚大な被害を出しながらも米軍はなんとか怪獣「カマキラス」の撃退に成功する。だが、この事件は始まりに過ぎなかった。これを境に怪獣は世界中に出現し、各地で甚大な被害をもたらし始めたのである。その中でも「ゴジラ」と呼ばれる怪獣はその他の怪獣とは比較にならないほど強大であり、人類はゴジラによって滅亡の危機に瀕してしまう。
時を同じくして「エクシフ」、そして「ビルサルド」という2種の異星人達が相次いで地球に襲来。母星を失った彼らは地球への移住への見返りとして、人類を凌駕するその科学力による怪獣の駆逐を約束。こうして人類・エクシフ・ビルサルドによる「地球連合」が発足した。
しかし、様々な作戦や超科学兵器が投入されたにも関わらず、それでもゴジラに勝つことは出来なかったのである。

最初の怪獣出現から半世紀が経過しようとする頃には、人類は7億人にまで減少していた。ゴジラに対してもはや打つ手なしとした地球連合は、系外惑星への移住計画を推し進める。
恒星間航行移民船「オラティオ号」がはくちょう座ケプラー425b星へ、そして同じく恒星間航行移民船「アラトラム号」がくじら座タウ恒星系e星へ、それぞれ出発した。ゴジラに勝てなかった人類は、エクシフ・ビルサルド同様の「宇宙の放浪者」となったのである……。

船内時間で出航から20年後、アラトラム号は目的地であるタウ恒星系e星に到着した。だが、e星は人類の生存に適した星では無かった。絶望する人類。長い旅で飢えと寒さに苛まれた人類に残された時間は少ない。
そうして、サカキ・ハルオ大尉が立案・公表したゴジラ撃滅作戦が支持を得た事もあり、アラトラム号上層部は超長距離亜空間航行によって地球へ帰還する事を決定する。
アラトラム号は地球への帰還を果たすが、地球では2万年もの時間が経過していた……。



怪獣惑星』の冒頭5分くらいで、人類がどのようにして怪獣軍団に敗北して宇宙の放浪者になったのかという事が描かれるのですが、その背景で流れるのがカマキラスやらダガーラやらオルガやらドゴラやらの新旧東宝特撮怪獣達が世界中を破壊している影絵なんですよね。特にカマキラスがポーズをキめながらニューヨークを火の海にしている図が本当に面白くて(笑)。しかも、エクシフとビルサルドなる二種の異星人が、完全にX星人とブラックホール第3惑星人なんですよ。シリアスで重苦しい雰囲気の中、「メカゴジラ、起動しませんッ!」という台詞が入るのが最高に面白過ぎるんですよね。
他にも、人類が使う可変式戦闘車両がどう見ても白いガンヘッドな上にそれがゴジラ撃滅作戦で大活躍するなどもあり、初見時に管理人は「ガンヘッド映画だこれ!!」と、妙に興奮したりもしましたし、移民船に乗れず地球に残された人類の末裔・フツアの民がどう見てもインファント島の住民で原典にもあった放射能の影響を低減させる「赤い汁」を再解釈して登場させたりするなど大小含めて本当に様々な「東宝特撮を知っているとニヤリとするネタ」がこれでもかというくらい作品随所に仕込まれていました。
また、「人類が去って2万年後の地球」という事で、舞台となるのが概ね樹木に囲まれている森林である事もあって、未知の植生や怪生物セルヴァムとの遭遇等の要素も、『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』や『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』、或いは『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦! 南海の大怪獣』等の「南洋の島」で繰り広げられる怪獣映画っぽさがありましたね。そりゃモスラを神として崇めるフツアの民が出てくるってもんですよ。そう考えると冒頭で一番最初に登場するのが南洋の島の怪獣の代表格であるカマキラスなのも、「今回のゴジラは南洋の島系怪獣映画のテイストでいきますよ!」という宣言だったのかも知れません。
東宝特撮映画、しかも昭和期の作品を現代で再構築するとこうなるのかと感心したしきりでありました。いやぁ、満足満足!

東宝特撮的文脈でも色々と見どころはあるのですが、このシリーズのもう一つの特徴としてSFリテラシーが相当に高い作品となっている、という事が挙げられるかと思います。
まず2つの移民船が向かったはくちょう座ケプラー425bとタウ恒星系eは実在する天体であり、加えて地球型の生命が生存出来る可能性が高い「ハビタブルゾーン」内に位置する星でもある訳です。特にタウ恒星系eは地球からの相対距離が約11.9光年と、現在発見されている太陽系外惑星としては地球から最も近い「生命の居る可能性が高い星」であり、『宇宙戦艦ヤマト2199』で同じく人類の移住先候補として登場した実在の天体グリーゼ581d(地球からの相対距離約20光年)よりも近い位置にある星なんですよね。2007年に発見されたグリーゼ581dが『ヤマト2199』(2012年制作)に登場し、2012年に発見されたタウ恒星系eが『GODZILLA』(2017年制作)に登場した事を考えると、宇宙探索の進展を感じざるを得ません。
また、もう一方のはくちょう座ケプラー425bは地球からの相対距離が約1400光年ではありますが、現時点で発見されている太陽系外惑星の中で「最も地球とよく似た環境の天体である」と推測されている星であります。設定上オラティオ号はアラトラム号よりも多くの移民を乗せた上に冷凍睡眠装置も備えた上で出航したという事になっていますが、可能性の問題を考えるととても理にかなっているんですよね。
更には、アラトラム号が地球に帰還した際には2万年もの歳月が経過しているという描写ですが、これはもうSFでは定番の「ウラシマ効果」でございますよ! 劇中の台詞をよくよく聞いてみると、本作でのワープ航行にはどうやらブラックホールを使ったワームホール式の亜空間航行技術が使われているらしい事が分かりますので、ワープ航行を行うとそれだけで時間が消費されるようなんですよね。しかも跳躍距離が長ければ長いほど時間の消費は激しくなるらしく、タウ恒星系e到達時には数千年だった時間経過が地球帰還時には2万年になっているという事に繋がる訳です。形状から原子力推進を備えているらしいアラトラム号は別に光速の99.99999……%まで加速可能とかいう事では無いようです。単なる通常空間を亜光速で航行した結果のウラシマ効果発現では無く、ワープ航行を使用した結果のウラシマ効果発現というのがなかなかにポイント高いですよ!

そして、本作の「怪獣」に対するアプローチも非常に興味深く、SF的解釈が為されております。
本作では怪獣達の出現は「人類による環境破壊の結果大いなる地球の意思が怪獣達を生み出した」みたいな感じで語られているんですが、詰まる所これって地球自体がひとつの生命体であると解釈する「ガイア理論」ですよね。しかもそこから一歩踏み込んで「怪獣を、ゴジラを生み出す事自体が人類の最終目的だったのではないか?」という解釈が為されたりもしておりました。
ビルサルドの「怪獣は通常の手段では倒せないからこそ怪獣なのである」、「怪獣を凌駕して人類種が真の怪獣(惑星の支配者)と呼ばれる存在にならなければならないのだ!」といった考え方や、「怪獣に滅ぼされるのがこの宇宙の理であれば、いっそ怪獣に滅ぼされて怪獣の中で永遠に生き続けよう」というアブない教義のエクシフ、「怪獣は台風や地震のような存在であって、それ以上でも以下でも無い」とするフツアの民、そして最終的に「怪獣は憎まれるからこそ怪獣たり得るのである」という結論に行きついたハルオ……。
このように、三者三様の「怪獣論」が、作中では提示されているんですよね。「怪獣はそこに居る存在である」という説を唱える管理人としては、フツアの考え方が一番しっくりきますかね。「自然の猛威と戦う事は出来ない。ハリケーンが来たら逃げなければならない。だが、イェーガーに乗ればハリケーンと戦う事も出来るし、勝つ事も出来る!」論です(笑)。

本シリーズにはゴジラ以外にもメカゴジラとギドラという2体の怪獣が登場しましたが、ゴジラ怪獣を代表するメカゴジラとキングギドラという2体の怪獣を下敷きとする彼らに対しても、本作ならではの再解釈が為されておりました。
メカゴジラはビルサルドの「ナノメタル」という思考金属の集合体であり、最終的には人や物を呑み込んで地球をまるごと覆い尽くす恐るべき存在であるとされました。本作のゴジラは地球の生態系を丸ごと変貌させるという驚異的な力を持っている為、このナノメタルで構成されたメカゴジラは、まさに「ゴジラの対となる存在」であるという事が出来る、まさに概念的な意味で「機械のゴジラ」と呼ぶにたり得る存在でありました。

そして、ギドラ。
コイツはもう我々の世界の物理法則が通用しない恐るべき怪獣として登場したのですが、その理屈付けとして量子力学的アプローチが為されておりました。量子力学というのは、原子や分子よりも更に小さい物質である「量子」について考える学問であります。量子は時として現在知られている物理法則を一切無視したかのような動きが観測されているので、その観測結果の謎を解き明かそうとする学問でもあるのですが、まぁこいつを持ち出すともう「なんでもあり」になってしまうんですよね(笑)。
よく量子力学の例えに上がるのが「シュレディンガーの猫」でしょう。1時間以内に50%の確率で崩壊する放射性原子と、その原子の崩壊を探知したら青酸ガスを噴出させる装置と猫を同じ箱に入れて蓋を閉め、1時間を置いて箱を開けるまで放置する。箱を開ける瞬間までは、箱の中の猫は生きている状態と死んでいる状態が同時に存在している、という考え方です。これはあくまでも思考実験なので普通に考えると箱の中の猫は死んでいるか生きているかのどちらかでしか無い筈であり、これを提唱したエルヴィン・シュレーディンガー博士も「んなアホな話があるかいな!?」という意図を込めていた訳なのですが、しかし現在に於ける最新の研究では、理屈の上では「2つの状態が同時に存在している」という状態になるともされていますし、更には「観測した瞬間に猫が死んだ状態と生きた状態の2つのパラレルワールドが発生して分岐する」という主張をしている研究者もいます。
実際に量子の世界では「それまでは好き勝手に飛んでた量子達がセンサー等を用いて観測した瞬間に一定の動きを見せるようになる」とかいう訳のわからない現象が起きたりもしている訳で、考えれば考える程頭が痛くなってくるような凄い世界、それが量子力学の世界な訳でございます。
で、『星を喰う者』に登場したギドラもブラックホールの中から出現する、いわば「事象の地平面(ブラックホール内に存在する「重力が強過ぎて光や電波すらも脱出不可能になる面」の事。事象の地平面の向こう側は、我々の世界の物理法則が一切通用しなくなる、とされています。頭が痛い!」の向こう側からやってきている訳ですので、量子力学的な挙動を自由に取捨選択できるようになっている訳であります。いやぁ、有り体に言って出鱈目で滅茶苦茶なヤツですよ。
ヤツは、こちら側からの攻撃が「当たっている」可能性と「当たっていない」可能性を自由に選択出来る訳ですよ。逆に言えばギドラは、「存在している状態」と「存在していない状態」の二重の状態になっている訳でもあります。そんな感じで出鱈目に強いギドラは実は物凄く不安定で常に揺らいでいるような存在でもあるのですが、それなのに我々の宇宙に存在できるのは、メトフィエスがギドラを「観測」しているからなんですよね。「観測者」さえ居ればその存在は確定するので、ギドラは無敵の怪獣として君臨する事が出来たのであります。
当然、メトフィウスの「」が損なわれた瞬間に「観測者」はマーテイン博士ら機材でギドラを観測しようとしていた地球人類になるので、その瞬間にギドラは「我々の物理法則に縛られた存在」になりゴジラによって倒されてしまう事になる訳です。
いやぁ、『星を喰う者』でのゴジラとギドラの戦いはそうした量子力学的観点で見れば本当に興味深いものだったんですよねぇ。
また、このギドラが「ブラックホールからやってくる」という点も注目したいところであります。
現在の宇宙論では、最終的にこの宇宙に残る天体はブラックホールのみになり、そのブラックホールも順次蒸発していき最終的には宇宙はエネルギーを生み出さない光子だけが飛び交う、絶対零度に限りなく近い温度まで無限に冷却されていくだけの空間になる(ビッグフリーズ」と呼ばれています。)そうですが、「宇宙空間に最後まで存在し続けるブラックホール」という事を考えると、そのブラックホールから出現するギドラを神として崇め奉るエクシフの教義についても、なんとなく理解できるような気がしますね。

物語の展開的には上記二体の怪獣を退けたゴジラに対して「ゴジラを憎む最後の人間」であるハルオがゴジラに突撃・爆散していくという終わり方になっている訳ですが、このハルオの最期の行動は、1954年公開の特撮怪獣映画『ゴジラ』の芹沢博士の最期とやっぱり被るんですよね。
54年の『ゴジラ』に於いて、芹沢博士は「オキシジェン・デストロイヤー」なる原水爆以上の破壊力を秘めた化学剤を作っ(てしまっ)た人物として登場します。芹沢博士は、第二次大戦で傷を受けた事から婚約が危うくなり一人研究室に籠って研究に没頭するも、婚約者を取られてしまい、「絶対に秘密」であると念を押した自分の研究も(ゴジラ襲来による東京壊滅の惨状もあったとはいえ)明かされてしまった事から、「自分の居場所はここには無い」と悟ってゴジラと共に海に消えた男として描かれています。
また、芹沢博士は『ゴジラ』に於いて、ゴジラと対になる人物でもあるんですよね。災厄そのものと言える怪獣・ゴジラも、原水爆以上の威力を秘めた化学剤を完成させた芹沢博士も、作劇上「現代に居てはならない存在」であると言えるんですよ。だからこそ、『ゴジラ』の芹沢博士は、ゴジラと共に海に消えるしか無かった訳であります。2014年の『GODZILLA ゴジラ』に於ける渡辺謙さんが演じた芹沢博士は、原典の芹沢博士よりは山根博士の立ち位置なんですよね。

一方の『GODZILLA』の主人公であるサカキ・ハルオは、メカゴジラやギドラといった脅威が存在せず、人類もほぼ滅亡してしまい残された人類もフツアの民と共生していく中、「小さな幸せ」を見つけていくという未来がありながらもその道を選択しなかった訳です。
ここでハルオが敢えてゴジラに挑んだのは、「人類に変革をもたらし、最終的に再び怪獣を生み出す事になりかねないナノメタルと融合してしまったユウコ」と共にゴジラに「焼き払って」もらう事で後顧の憂いを断ち切る、という事もあったのでしょうが、ハルオがハルオである為に、彼は最期までゴジラと戦う事を選んだんですよ。同時に「ゴジラを憎む人間」をこの世から消し去る事で、「憎まれる事で怪獣として存在していたゴジラ」に概念的な死(生命としては普通に本編後も生き続けるのでしょうが。)を与える事になった訳であります。最後のハルオの微笑みは、そうしたゴジラと人類の長きに渡る戦いの呪縛からの解放を意味するものだと、管理人は解釈しました。

作劇上はやはり芹沢博士同様、「フツアとの共生を始めた人類にとってハルオはもう必要の無い存在である」という事であると思うんですよね。オキシジェン・デストロイヤーとナノメタルユウコ、芹沢博士とハルオ。行動原理は違っても、その生き様はやっぱり被って見えるんですよねぇ。
更には、「ハルオ」という名前が54年の『ゴジラ』以来昭和期のゴジラシリーズでゴジラの中に入っていた俳優の中島春雄さんに因んでいるという事を考えると、まさにハルオは「ゴジラの対となる存在」だったとも言う事が出来るのではないでしょうか。

そうした感じで、この『GODZILLA』シリーズは全編通してSF哲学怪獣論を展開し、1954年の『ゴジラ』から始まる東宝特撮映画の世界観を分解・再構築した非常に意欲的な作品であったという事が出来るのではないでしょうか。
いやぁ、ゴジラシリーズ作品としては完全な変化球ではありながらも、様々な要素を分解して考えるとなかなかどうして噛み応えのある骨太の作品でありましたよ。SFファンとしても非常に愉しむことが出来た、そんなアニメーションシリーズでありました。
これでまたゴジラ映画の可能性が拡がったと思います。これから先のゴジラシリーズに本シリーズの結果がどうフィードバックされていくのか、また楽しみなところでありますね!

アニゴジ絵

……と、この記事をここまで読んだら、管理人は『GODZILLA』シリーズを絶賛しているかのように感じる方も少なく無いと思います。
しかしながら、冒頭で記したように、管理人は本作を「面白くない」と評している訳なんですよ。それは一体どういう事なのか。
ええ。一言でいうとこういう事なんです。

映像が!! 圧倒的に!! 面白くない画で!! 構成されているんだよ!!

管理人が本作で「面白い」と感じたのは概ねSF哲学怪獣論的な文芸面の部分なんですよね。そのシナリオや設定を存分に映像が活かしきれていなかったというのが、このシリーズの物凄く残念な部分なんですわ……。

まず、地球に帰還してゴジラをなんとしてでも倒さなければならない根本的な理由として「もう人類は飢えと寒さに耐えて宇宙放浪する事は出来ない」というのがあるんですが、実際移民生活がどれだけ酷い状況なのかという描写も殆ど無いので、「不退転の覚悟でゴジラを撃滅する」というストーリー展開にノれなかったんですよ。
そして、ゴジラが全く持って「強大で恐ろしい怪獣」であるとは伝わってこなかった点であります。「ゴジラによって人類が滅亡の淵に追いやられてしまった」という事は『怪獣惑星』の冒頭5分くらいで簡単に説明されただけで、具体的にゴジラや怪獣達がどんな感じで人類を追い詰めて行ったのかいまいちよく分からない。だから、「ゴジラが人類にとっての憎むべき敵」というのがピンと来ないんです。更に本編でゴジラが闊歩するのは、樹木生い茂る森林地帯。これでは、「ただその辺を散歩してるだけのゴジラを人類がホバーバイクでチマチマ攻撃してるだけやんけ!」となってしまいます。
折角ゴジラを身長300mなんていう歴代最大のサイズにしたにもかかわらず、殆どゴジラを大きく見せる演出が無いせいでその大きさも伝わって来ませんでした。なんなら、『怪獣惑星』では対比物を見せる演出が多用されていたので、ゴジラ・アースよりもゴジラ・フィリウスの方が巨大に感じてしまうまであると思います。いや、だって『決戦機動増殖都市』でも『星を喰う者』でも、ゴジラが歩いたり戦ってるのは荒野なんだもん……。そんな場所で「ゴジラ・アースは歴代最大の300mでござい!」なんて言われても、ねぇ?
更には、対戦相手であるメカゴジラとギドラ。
上の方では「概念的機械のゴジラだ!」とか「量子力学の怪獣だ!」とか言ってはしゃいでましたが、メカゴジラがメカゴジラ要素皆無のガスタンク群になっていたのはどう考えても解せませんし、ギドラも大層なバックボーンを持った怪獣なのにゴジラ相手にひたすら噛みつくだけで全然動かないなんてのは、一体どういった了見なんでしょうかッ!! キミたち、ポテンシャルは良いんだからもっとちゃんと怪獣アクションして面白いバトルを繰り広げなさいよ!
他にも、登場人物達が棒立ちで話しているだけとか、折角ヴァルチャーという格好良いロボを出したのに飛んでるだけだったりとか、精神世界の描写とか、映像的な部分での問題点は少なくありませんでした。

また、本作は怪獣達に感情移入が一切できないというのも、怪獣好きとしてはマイナスな部分であります。
だってゴジラもギドラも、意志を感じる余地が無かったんだもん! 唯一メカゴジラが、「主人の帰りを信じて2万年間絶対ゴジラ倒すマンとして軍備を整えていた」という忠犬的な可愛さを見せたくらいでしょうか。このメカゴジラになら管理人は同化しちゃっても良いかなと思えます(笑)。鋼たれ! 自らも鋼たれ!
しかし、ゴジラもギドラも全体的に舞台装置然としていて一切の感情移入を拒んできたのが残念でありました。萌える事が出来るからこその怪獣である筈なのに!

このシリーズ、「ゴジラ」の名を冠していながら、ゴジラ自体が主役にはなっていないんですよね。怪獣映画に於いては、「主人公≠怪獣」ですが「主役=怪獣」という構図になっている作品が殆どであるのですが、本作は「主人公=ハルオ」、「主役=SF哲学怪獣論」という構造になっていて、「ゴジラ」はその「怪獣論」部分を説明するための舞台装置になっちゃっていたという事が出来ると思います。そこに怪獣が居るにも関わらず、「その怪獣とは何か?」という事を延々語っている感じですね。
作劇の構造上ゴジラが主役になっていなくて、管理人は非常に哀しかったです。だからこそ、管理人は本シリーズを「怪獣映画では無い」と、捉えてしまっているんですよね……。

そもそもですね、本シリーズは「ゴジラを見たことが無い若いアニメファン」に向けての企画だった筈なんですよ。しかし、完成したのはバリバリのハードSF路線の作品。
今の若いアニメファンは、ハードSFは敬遠しちゃうから!!
特撮映画としてのゴジラい興味の無かった層にアニメとして観てもらってファンを増やす」という企画から見ると、何か根本的なところで間違えちゃっている気がするんですよ、本作は。しかも、そのSF的な部分のガジェットや現象等についての説明は劇中で殆ど無い訳ですから、作品自体が結構難解なものになっていると思うんですよね。更にそこに怪獣論などを展開した日には、まぁその部分に興味の無い人からすれば「なんだコレ」ってなってしまいかねない訳ですよ。そんな感じで文芸面が超変化球で来るんだったら、怪獣バトルの部分は逆に正攻法でやった方が良かったんじゃないか? と、管理人などは思ってやみません。
俺は観たかったよ、メカゴジラシティからニョキニョキ腕が生えてきてゴジラを殴ったりする外連味たっぷりの怪獣バトルがよォ……!

あと、アレですね。今回は静野監督が「ほぼゴジラや怪獣モノに触れてこなかった人」であり、作品制作中も怪獣モノに触れる事を禁じられていた、というヤツです。お前それ正気か!? と(笑)。
いえね、全く新しいゴジラをやるに当たって「怪獣ファンでは無い人の立場からの視点」というのは重要です。ですが、「過去作で何がウケたのか? 何がダメだったのか?」というのを知らない人が作品の意思決定をする監督という立場に居るのはマズいだろうと思うのは管理人だけでしょうか。
各種インタビューを見ると、「静野監督が微妙な顔をした! この案はいけないんだ!」みたいなやりとりが何度もあり、「それまでの怪獣映画ではよくあったシチュエーションや構図」がガリガリ削られていく事になったらしい、という事が書かれているんですよね。その結果、削らなくても良い部分まで削ってしまったと思うんです……。
完全に人選とその後の対応をミスってしまったのではなかろうかと思ってやみません。よくネット上なんかでは静野監督が叩かれちゃっていますけど、これ、プロデューサーが悪いよね……。

最終的に、管理人が『GODZILLA』シリーズを観て感じたのが、「80年代のOVAっぽい作品だなぁ……」という事でした。
濃厚なSF描写、様々なガジェット、変化球的な作劇、原典の再解釈。雰囲気としては完全に80年代のOVA作品っぽいんですよね。AICとかが制作しているような感じの(笑)。……ただ、画の面白さが殆ど無いので、「出来の悪い」という枕詞が付いちゃいそうなのが哀しいのですが……。出来の悪い80年代OVA……悲惨過ぎる
同じ虚淵脚本の『翠星のガルガンティア』や『楽園追放 -Expelled from Paradise-』も80年代OVAっぽい感じがありつつ(80年代OVA」っぽいというのは、ある種虚淵さんの作家性の一面なのかも知れませんね。)現代アニメらしい作品に仕上がっていたのに、どうしてこうなったッ!?


全体を通して、怪獣を題材としたSF作品としては非常に興味深いのですが、怪獣バトルや映像の面白さが薄いせいで「別に映画じゃ無くてドラマCDとかビジュアルノベルでも良かったんじゃないか?」とかいう考えが頭をよぎっちゃう、管理人にとってはそんな哀しい作品に、この『GODZILLA』シリーズはなってしまいました。だから、「面白くないけど興味深く、好きな作品」なんですよねぇ。
多分、ギャレゴジやシンゴジが無くいきなりこのアニゴジを出されていたら、管理人も発狂していたと思うんですが(笑)、幸いにして2018年現在は来年も再来年も、ひょっとしたらその次の年も新作のゴジラ映画を観る事が出来るという状況でありますので、心穏やかにアニゴジを愉しむ事が出来たのかも知れません。
大小含めて文句は尽きませんが、良い作品でしたよ、『GODZILLA』!


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2018/11/23 19:56|SFアニメTB:0CM:12

取り敢えず 

最近Twitterの方でフォロワーさんが増えている感じで、それに伴って当ブログに飛んでくださる方も少なからずいらっしゃる中で広告出しっぱなしというのはなんだか恰好が悪いので、取り敢えず更新するヤツです。
ブログを更新する時間が無いのが悪いよ、ブログを更新する時間が無いのが!

と、言いつつアニゴジ記事を作成中なんですけどね。
近日中には公開したいと思います。
以上です。
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2018/11/17 16:41|愚痴TB:0CM:0

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